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つきいち新聞

The Tsuki-ichi Shimbun

創刊準備号 ハンズフリー論考

ハンズフリー論考

 

スマートフォンとマイク付きイヤホン(たいていはBluetooth接続されている)を連動させる「ハンズフリー」で電話している人を目にする機会が増えた。とはいえ、人びとのあいだで「ああ、あの人は電話をしているのだな」という認識が広まったのは、少なくともここ数年のことだろう。

 

ハンズフリーの人」に出くわす場面は日常となったが、僕はいまだに戸惑いというか、ぎこちなさを覚える。時折ニヤニヤしたり、首を振ったりするから一層気味が悪い。両手が開放されることにより、作業効率の向上が見込まれることは頭で理解できるが、それでもなお感じるこのぎこちなさの理由はどこにあるのだろうか。

 

中高生時代、週初めの月曜日に全校集会が開かれていた。みんな行儀よくステージの方に向かって体育座りをして、校長先生のお話や生徒会からの報告を、まだ眠い目をこすりながら聴いていた。でもこれって、よく考えたらすごく変なことだ。人は360度、全方位からの音を聴くことができるのだから、別に横を向こうが後ろを向こうが校長先生のお話は理解できるはずである。「しきたりだから」「先生に怒られるから」と片付けてしまえば簡単だが、どうしてどうして、僕らは当たり前のように前を向いて話を聴いてしまう。

 

これは全校集会に限らない。食卓を囲むときだってそうだ。「エネルギーを補給する」というご飯の機能的側面に限定すれば、食べ物を口に放り込めばそれでよいはずだ。仮に食料が足りてない状況にあれば、他者と向き合うことは食物を奪われる危険を犯すことにもなる。それなのに、僕らは背中合わせではなく、わざわざ向き合って、食卓を囲んでいる。

 

この二つの例から分かることは、人は対面するコミュニケーションを基本としてきたということだ。両者が向かい合って、話を聴き、ご飯を食べる。当たり前のようだが、僕たちは効率性を犠牲にしてまで対面コミュニケーションを選び取ってきたのである。

 

携帯電話を耳にあてがって電話をする人を目にする時、僕らは携帯電話を持つという彼のしぐさから、会話している相手を想起し、頭の中で対面させている。一方ハンズフリーの人たちは、耳にUSBメモリみたいな物体を差し込んでいるだけで、周りから見ると何をしているのか判別できない。それだのに、ときどきニヤニヤしたり、相槌を打っていたりするから、気味が悪いのだ。それは、背中合わせで食卓を囲むときの違和感と僕の中では一致しているのである。